古代から漢民族は、外敵から自らを守るために焼いたレンガで城壁を作りその中に住宅街を作って暮らしていた。農民は城壁の外で農業を営み、外敵が来れば城内に入って身を守る。大きな城だと城壁の中に農地さえ有って城内で自給自足の暮らしが成り立っていた。日本のように海に囲まれて容易く進入できない土地柄ではなく、全て陸続きと言うのは異民族や周辺部族、山賊の襲撃を常に覚悟しておかねばならない。その為この城壁に囲まれて暮らしたいと言う願望は漢民族に刷り込まれたものであり、その安心感と言うのは捨てがたいらしい。

 清の時代まで街を囲んでいた城壁は、近代化の波で殆ど取り壊されたが、今でもマンション群、住宅地、戸建て住宅地(別荘地)は、全てと言っていい位レンガの壁か鉄柵に囲まれており、コロニーのような形状で数カ所の出入り口にはガードマンが立っているのである。欧米や日本のように誰でも出入りができるオープンスペースの住宅街はあまり存在しない。農民は歴史的にも元々農耕地である城外にいたので、農村群は城壁で囲まれてはいないが、一戸一戸の農家は、金さえあれば防犯上レンガの壁を高く積み上げて入りづらく工夫している。

 こうした歴史的背景から、街=“城壁で囲まれた場所”と言う概念が定着し、今でも「○○城」と書かれているのは、○○Cityを意味する。この「○○城」というフレーズはよく街で見かける。例えばコンピュター業界が集まっているビルは“電脳城”、お茶屋が集まっているビルは“茶城”とか名付けられている。また、新たに開発されたマンション団地も〇○城と命名されている住宅街が多いのである。

 日本の場合「城」は、庶民の生活空間ではなく、“領主の砦”という概念が強かったが、某国の場合は「街」そのものであったわけだ。つまり「北京城」は、“北京の砦”ではなく、“北京の街”という感覚で「城」の文字を理解するのが正しい。

  さて、街には当然治安を司る組織が必要で、それが軍や警察などである。最近では警察の金づる組織として成長した民間警備会社も多いのであるが、某国には諸外国にはない特殊な治安維持組織が存在しているのをご存じだろうか。それが悪名高い「城管」という組織である。

 城管と言う名前は、“城市管理”を意味するが、正確には市や県の政府下部組織の城市管理総合行政執法局に所属する連中である。名前だけ見れば政府役人のようであるが、頭は役人でも実際に街に出て業務についているのは、地方出身の素養のない若者連中でチンピラみたいのが多い。彼らがする仕事は、警察官もしたがらない、つまり恨みを買いやすい業務が多いので特に嫌われる存在になってしまった。

 治安と言うと防犯対策などが思い浮かぶが、市や街の小政府組織は街の秩序を守らせる、また美観を守らせるという目的で、様々な条例を設けている。規則が存在してもまず守らないのが某国人の癖、そこで城管はチンピラのような連中を雇って、厳しく条令を守らせようとする。例えば路上で露店や屋台で商売をする人が多い中、街条例では美観上これらを禁止している街が多いのである。また、毎朝街に繰り出す乞食集団も美観上居てはならない存在である。ところが店は持てないが物を売りたい人、安い物を買いたい人、安い屋台で飯を食いたい人が一杯いて、需要と供給の関係で街には、露店商、屋台が溢れている。歩道や路上、横断歩道の上も商売人と乞食で溢れていて、通行に支障が出るぐらいなのである。そこで、時々城管のチンピラどもを街に繰り出させて、取締りを行う訳である。取締りのやり方がヤクザそのものであるから怖がられる・・・やっちゃんと同じで怖がられて「なんぼ」なのである。日本では「泣く子と地頭には敵わぬ」と言う言葉があったが、こちらでは地頭が城管に入れ替わる。

 「こらぁ~!誰の許しを貰って此処で商売している!直ぐ出て行け!」ってな感じで露店商や屋台の三輪車を蹴飛ばしながら街を闊歩していく。口答え等すると物は没収されたり、壊されるわで散々な目に遭うのである。今まで商売をしていた露店商が、一斉に慌てて売り物を袋に畳んで移動し始めたら、それは怖い城管どもが行動を始めたからである。

 某国首都の場合、昔は第環状道路の中には、馬やロバは入ってはいけないと言う規則があった。多分その規制の輪は、現在第5環状道路まで拡大しているだろう。馬糞など汚物の始末が大変なのも理由だが、主要な目的は近代化された某国首都のイメージを損なうので、それを避ける為である。ところが、市郊外の農民はスイカや瓜を馬車に乗せて購買力のある市の中心地で売りさばきたい為、隙を見ては馬車に一杯の果物を積んで入り込んでくる。この為、街のあちこちで城管と馬車の追いかけっこが展開されるのである。このカーチェースならぬ馬車チェースは、ちょっと見ものであった。

 首都市内には、高速鉄道の集中する北京南駅や乗降客の多い西駅など大きな駅がいくつもあるが 長安街の東側にある北京駅が最も古い。日本人からすれば北京駅前と言うと東京駅前八重洲や中央口周辺の「首都の顔と役割を演じるエリア」を想像するが 実際は、全く違う。北京駅前に大型オフイスビルが建設された時、ある日本の商社が東京駅前の感覚で大枚はたいてのフロアーを購入し本拠地を構えてはみたが、北京の経済中心地は別の場所にある事に気づき「ここは、単に地方の労働者たちが鉄道を利用する東京の上野駅じゃないか・・・」とがっかりしたという逸話もある。

 こうした古い駅で地方からの出入りが多い場所には、必ず路上にまた横断歩道上に、物売りが露店を出している。一応某国首都の駅前であるから美観の維持は厳しく守られ、此処の城管も厳しく取締りをしている。まず昼前に繰り出す巡回では、彼らの昼飯やおやつとなるカップ麺の販売や食べ物の販売をしているおばちゃん、おじちゃんが真っ先に狙われ、物品没収の対象となる。城管達の腹が空く時間だから格好の標的としてしまうのである。

路面商を完全に排除することは不可能ではないが、城管のズルい所は、露店商などに商売をさせておく余地を残しておくことである。そうしないと自分たちの実入りもなくなるし存在でさえ危うくなるからだ。取締りをやってもやっても入り込んできて困っている・・・ぐらいの状況が丁度良いので徹底して排除しない。庶民もその辺を知っていて彼らの手口を嫌うのである。

 では、正規で店を構えている商売人には関係ないかと言えばそうでもない。某国は、道が広いだけでなく歩道も広い、無駄に広いので路面店舗の店主はこの空間をもっと利用できないか考えてしまう。元々公共のエリアであるが、夏の夜は、歩道に臨設のテーブルと椅子が並べられ 特設串焼きビアガーデンが町中に溢れることになる。これも本来街の条例違反であるが、税金面での収入増もあるだろうから半分目をつむっているようだ。城管にも“お目こぼし料”を払っていればウィンウィンの関係が保てるが、そうならないケースもあるようだ。私が目撃した現場は、通りに面した串焼きビアガーデンが虱潰しに破壊された後だった・・・バラバラになった白いプラスチック製のテーブルと椅子、そして皿などの残骸が、城管が暴れまわった痕跡が残していた。彼らはまさに政府が雇った公認ヤクザ組織ともいえる。

 こうした役割の他、彼らは再開発に際しても大活躍しているようだ。地方政府が、都市に集まっている農民を分散させる為、農民工の生活基盤であるエリアを丸ごと取り壊し オフィス街やマンションに作り替える計画が進んである。都市部のインフラを支えている建築工、土木作業、清掃作業、ごみ回収、店舗店員、工場労働者などは、仕事のある省都などの大都会の中に仮の住まいを設けて生活をしている。ここで「仮」と書くのは、低所得の為都市の住宅を購入できない彼らは安い賃貸タコ部屋に住んでいるか 政府非公認の勝手に作ったバラックに住んであるためである。しかし人が増えれば衣食住の仕事も生まれるから自ずとこうした農民工の居住エリアは独自の発展を遂げる。こうした農民を新たに作った衛星都市に移住させ家を購入させて定着させ 新たな中間所得層にしてGDPを上げようというのが、李首相たちの新政策である。

しかし 政府が推奨する衛星都市と言うのがまがい物で、街はきれいに整備されていても生活の糧となる仕事が存在しない。仕事まで用意してこそ計画経済であるべきだが、用意してあるのは、箱物と上下水道、電気、ガスなどのインフラだけである。当然、移住者は少なくゴーストタウンのようになる。商売をしたくとも家賃が高く人が少なければ結果は見えている。そんなところに誰も移動したくはない・・・でも政府の方針は変えないのである。

ある日「この地区は、○月○日までに出ていく事!その後 更地にするのですぐに移動の準備にかかること」と急に通知が来る。国が認可して販売された住居にはそれなりの補償が出るが、元々借家ばかりのエリアなので政府の補償も大していらない。地区の農民工たちは、十数年住み慣れたエリアを出て行かねばならないのだ。この時、城管は日本のバブル時代、地上げ屋とヤクザ組織が再開発で動いたのと同じ動きをするのである。「明日までに出て行かないと 家財も含めて全部没収処分するぞ!」「今度来た時に未だ居たら、ただでは済まないぞ!」

某国首都での再開発では、補償額で揉めて夜の夜中にデモがあちこちで発生していた。それでも補償があるだけまだマシで補償話に決着が付けば、窓やガラスに「×」印がスプレーされ撤去が進む。しかし、補償の「㋭の字」もない農民工の借家はいきなり「×」とスプレーされて、抵抗しても壁や屋根から取り崩されるので、さっさと家具や家財道具を避難させないと全てを失う破目になるのだ。農民工たちは、この時一党独裁と共産主義社会の“ありがたみ”を嫌と言うほど思い知らされるのである。

                                        (2016年11月10日記)

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ボクの某国論
其の二十一 城市と城管やくざ